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    プロフィール
    HN:
    三浦 真司
    Webサイト:
    性別:
    男性
    職業:
    楽習堂塾長
    自己紹介:
    岐阜県羽島郡笠松町の学習塾の経営者です。
    【出身高校】
    岐阜県立岐阜高等学校
    【出身大学】
    慶應義塾大学経済学部
    P R

    エース家紋ビスケットの謎(4)

    伊達家の家紋使用の可否はどう決められているのか?

    …という話をする前に、政宗以降の伊達家がどうなったかということについての、少し話をしようかと。

    政宗によって基礎が築かれた仙台伊達藩。途中に危機が訪れることもありました。危機の最たるものは、17世紀後半に生じた、いわゆる伊達騒動でしょうね。人形浄瑠璃や歌舞伎の有名演目『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』のモデルになった事件で、昔の大河ドラマ(平幹二郎主演の『樅ノ木は残った』もこの事件を題材にした話。

    とはいえ、まぁ何とか危機を潜り抜けて、仙台伊達藩は幕末まで存続できたのでした。幕末動乱期はそんなに目立った活動をしなかったのですが、最後になって仙台藩は政局を大きく左右する働きをすることになったのです。江戸城の無血開城の後、東北諸藩は薩長主体の新政府に対抗して奥羽越列藩同盟を結成、仙台藩はその盟主的地位に立ち、戊辰戦争を長期化させる原因を作ったのです。

    かくして、幕末動乱の渦中に身を投じるに至った仙台伊達藩。やはり独眼竜軍団の血を引く強者ども、その勇猛果敢な戦ぶりに、流石の薩摩や長州も恐れおののかずにはいられなかったのだった!(>_<)

    …というわけでは、ありませんですた。(/・ω・)/

    戊辰戦争期の仙台軍は、すぐ逃げることで有名になってしまったのです。「大砲がドンと鳴ったら五里(約20キロメートル)逃げる」というので、ついた仇名が「ドンゴリ」…(*_*;。幕末の諸藩軍の中で、仙台軍ほど評判の悪いところって、他にあるんだろうか…?

    結局、列藩同盟結成してから四か月程経って、仙台藩は新政府軍に降伏。62万石から28万石に厳封されて、廃藩置県を迎えたのでした。

    続きは次回に。

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    エース家紋ビスケットの謎(3)

    エース家紋ビスケットのことが気になったので、検索してみたら、withnewsというニュースサイトの次のような記事に出くわしました。

    家紋が学べるビスケット!戦国武将を中心に22種類、ローソンで発売

    エース家紋ビスケットが販売に至る経緯がなかなかわかる記事です。これは、日清シスコがかつて販売していた商品を、ローソンがプライベートブランドとして復刻したらしいものみたいですね。日清シスコの社員のインタビューも書いてありますが、特に最終段落には注目すべきことが書いてあります。

    「家紋22種類は、戦国時代の日本の武将を中心に有名なものを選択。ゲームに出てくる登場人物や、誰もが知っているような武将の家紋を中心に選んで使用可・不可の確認を取ったそうで、使用不可の家紋もあったそうです。」

    むぅ…とすると、日清シスコも本当は伊達の家紋を使いたかったのに、使用不可になったんじゃなかろうか…?という仮説が出てきますね。

    でも、伊達家の家紋が使用可とか不可とか、どうやって決めてるんだろう…?

    続きは次回に。

    エース家紋ビスケットの謎(2)

    「東北の戦国大名と言ったら、誰が思い浮かびますか?」という質問を人々にしてみたとしましょう。

    答えの中で一番多いのは、恐らく伊達政宗でしょうね。片目しか見えないことから「独眼竜」という仇名はよく使われます。大河ドラマの主人公になったこともあるし(だいぶ昔の話ではあるけど、渡辺謙の出世作)、戦国無双その他のテレビゲームでもお馴染みのキャラクター。

    一方の最上義光は、東北地方の戦国史に通じている人なら、流石に知らないなんてことはないと思います。伊達政宗のお母さんのお兄さん…なので、伯父さんですね。政宗とは、対立することもあれば、協力することもある、というような仲。

    関が原の合戦の時には東軍側に立ちました。知らない人のために注釈しておくと、関ヶ原の戦いは狭い意味では岐阜県関ケ原町で行われた合戦のことを指しますが、この時期には全国各地で東軍方と西軍方の戦いが行われた。そして最上義光は、東北で上杉家の支柱だった直江兼続と死闘を演じました(慶長出羽合戦と呼ばれることもある)。関が原で東軍の勝利が確定すると、家康に認められて山形57万石を領することが認められました。伊達政宗の関が原合戦後の領地は62万石でしたから、伊達に匹敵する大大名になったわけです。

    逆に、伊達政宗が東北を代表する戦国大名としてふさわしいのかということに疑問を呈することもできます。島津氏は九州をほとんど統一したし、長宗我部氏も四国をほとんど統一しました。どちらも秀吉に屈服して、領地を縮小させられたわけですが、伊達氏は秀吉に臣従する前ですら東北統一には程遠い状態だった。だから「東北代表を別の人にしてもいいんじゃね?」的な考え方もできなくはない。

    とは言ってもですね、こういう見方ができるのはかなりの歴史マニアに限られるわけです。この種の商品は大多数に売らないといけない。その際には、既存の知名度が重要なんですね。その点から考えると、伊達政宗の方が最上義光よりも桁違いに知名度が高い。だから、家紋ビスケットを作る際に、製造業者は当然、東北代表の戦国大名として伊達家の家紋を入れることを真っ先に検討しただろうと思うんです。しかし、なんでそうならなかったんだろう…?

    続きは次回に。

    エース家紋ビスケットの謎(1)

    楽習堂から笠松駅の方に向かって歩いていくと、2・3分でローソン笠松東陽町店に辿り着きます。ウチから一番近いコンビニで、飲食コーナーも設けられているので、僕はよく行きます。

    今年の1月、現在楽習堂が入っている部屋を僕が初めて見に来るを直前にオープンしたばかりらしいですが、ウチと違ってよく繁盛している様子です…(^^;。笠松駅から一番近いコンビニですし、近くに岐阜工業高校もあるので(ウチの右斜め前にある)、繁盛するのも道理かなと思います。

    今日も、笠松にやって来て早々にこの店に入ったのですが、お菓子売り場を漫然と眺めていると、『エース家紋ビスケット』なるものが目に飛び込んできました。戦国武将の家紋が刻み込まれたビスケットでした。僕はかつては非常な歴史マニアで、戦国時代のことも無論よく知ってます。なので、興味を惹かれました。税込108円…安いし、一つ買ってみることにしました。

    下の写真が、袋の表面と裏面です。食べた後で撮影したので、袋が開いとります…(^^;


     
    表面はビスケットを写した写真が載っていて、裏面にはこのビスケットで使用した家紋がどの戦国武将に由来しているかが書かれています。上の写真だけだと見づらいかと思うので、改めて書き記すと、以下の二十二人です。

    織田信長、徳川家康、浅井長政、豊臣秀吉、明智光秀、真田幸村、毛利輝元、前田利家、宇喜多秀家、小早川隆景、本多忠勝、井伊直政、酒井忠次、榊原康政、加藤清正、佐々成政、竹中重治、山内一豊、島津義弘、最上義光、石田三成、長宗我部元親。

    人選は、信長・秀吉・家康の三英傑とその周辺の人々に偏っている印象を受けますね。時期的にも、戦国後期の人たちばかりで、初期の人は入ってない。毛利家の家紋を、名高い元就ではなく孫の輝元に割り当てているあたりに、時期的な偏りがはっきりと示されてます。関東で覇を争った武田、上杉、後北条の家紋がないのも、戦国後期中心の人選の産物かもしれません。

    九州の島津や四国の長宗我部が出てくるあたりは、地域的な配慮もある程度されてるかなという印象を受けます。そして最上は東北代表ってことか。

    しかし、なぜに最上…?

    続きは次回に。

    ブログを始めます

    四月に楽習堂を立ち上げはしたものの、無料体験授業にすらなかなか来てもらえず、どうすればよいかと思案する日々を送っている、楽習堂塾長の三浦真司です。

    色々と対応策を検討するのですが、授業をする前の段階で足踏みしているわけですから、授業内容を改善する段階ではなく、PRをどうしていくかという問題だと思うわけです。

    学習塾の第一のPRポイントは、どういう指導理念や指導形態で教えていくかということだと思います。その点については、当塾でも既にホームページにそれらを書き記しました。

    しかし、いくら優れた指導理念や指導形態を打ち出したところで、指導を行う講師の中身が伴わなければ、いい指導はできません。外見だけが立派でも、中身がなければ仕方がないわけです。

    楽習堂で指導を行う人間は、当面のところは僕一人です。僕は元々笠松近辺の人間ではありませんから、この地域の方々の大半は僕のことをよく知らないはずです。僕という人間のことをもっと知らないと、大切なお子さんを預ける気にはなかなかならないだろうと思うのです。大手塾であれば、そこに勤める個々の人間のことをよく知らなくても、以前から存在していた他校舎に対する信頼によってある程度カバーされるでしょう。しかし、楽習堂は僕が一から作り出した塾ですから、そういうわけにもいかない。となると、僕個人がもっと情報発信をして、信頼できる人物であるということを訴えかけていかなければいけないと思うんですね。

    信頼を得るためには、指導理念とか指導形態みたいな建前じみた言葉ばかりではなくて、もっと生の肉声に近い言葉を話す必要があるのではないかと思うのです。そういう言葉を発信する手段としてて既にツイッターを設けていますけれども、いかんせん140字しか書けませんから、十分に話をすることができません。

    そうであれば、やはりブログをやるべきだと思ったわけです。ブログを通じて僕の生の言葉を聞いて、僕がどういう人間であるかということを知ってもらう必要があるだろうと感じるのです。

    学習塾の経営者でブログをやっておられる方はしばしば見えますけど、勉強絡みの話が多い印象を受けますね。そりゃそうだと思われるかもしれませんけど、学習塾の人間が勉強の話をするのって、建前のまんま…(^^;

    もちろん、学習塾が勉強を教える場である以上、勉強の話をすることも必要でしょう。ただ、人を知るという意味では不十分ではないでしょうか?様々な関心事について知ってもらうことで、ようやく僕という人間を多少なりとも知ってもらえるのではないかと思うわけです。

    なので、勉強の話もするでしょうが、それ以外の話題も含めながら、このブログを進行させていこうと考えています。よろしくお願いします。

    今日はこんなところで。


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