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    プロフィール
    HN:
    三浦 真司
    Webサイト:
    性別:
    男性
    職業:
    楽習堂塾長
    自己紹介:
    岐阜県羽島郡笠松町に新しくできた楽習堂という塾の経営者です。
    P R

    エース家紋ビスケットの謎(7)

    エース家紋ビスケットで最上家の家紋として紹介されたのは「丸に二つ引き」という家紋です。「エース家紋ビスケットの謎(1)」で示した二番目の写真の中の、家紋一覧の右下にある、丸に二つ線の入ったものが「丸に二つ引き」。

    しかし、家紋に詳しい人がこの家紋から普通イメージする家は、最上ではないと思います。「丸に二つ引き」から通常真っ先に思い浮かぶのは、室町時代に将軍家になった足利家なんです。

    それではなぜ、足利家の家紋が最上家の家紋にもなったのか?足利家の一族に斯波家というのがあります。室町時代になると管領(将軍の筆頭補佐官)にしばしばなった家です。この斯波家の一族が、室町時代に東北にやって来て、陸奥国を統括する奥州探題という役職につき、大崎家と名乗るようになりました。その一族が最上家なんですね。つまり、最上家は足利家の一族の一族の一族なので、足利一族なんです。ということで、足利家の家紋が最上家の家紋にもなったわけですね。

    足利一門だったら、たいてい「丸に二つ引き」なんです。この家紋を持った戦国大名として、最上義光以外に有名なのは、今川義元ですね。今川家は、足利家の一族である吉良家(『忠臣蔵』の吉良上野介の家)の一族なので、やっぱり足利一族なんですね。足利一族は室町時代に全国に広がったので、「丸に二つ引き」は室町時代の後期から始まった戦国の世にはよく登場するんです。

    以上で、この話題はおしまい。


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    エース家紋ビスケットの謎(6)

    しばらく伊達家の話ばかりしてきましたけど、恐らく伊達家との交渉がうまくいかなかったせいで、エース家紋ビスケットの素材になり、多少なりとも脚光を浴びられる最上家についても、もう少し紹介しておこうかと。

    最上義光が関ヶ原の戦功で山形57万石の領主になれたことは「エース家紋ビスケットの謎(2)」で紹介した通りです。義光は1614年に没したのですが、その後最上家にお家騒動(大名家の内紛)が生じて、義光の没後わずか8年の1622年に山形57万石は改易となってしまいました。

    ところで、伊達家にもお家騒動があったことは「エース家紋ビスケットの謎(4)」でも述べた通りです。同じお家騒動を起こしたのに、最上家は改易され、伊達家はそのまま。この違い、どうして生じたんでしょうね。まぁ、歴史上の出来事というのは一つ一つが異なりますから、様々な偶然の結果だとも言えるんですが、お家騒動が起きた時期の違いは大きかったと思います。

    最上騒動が生じたときは、まだ江戸幕府が成立して20年も経っておらず、戦国最後の合戦である大坂夏の陣からは10年も経っていません。徳川の天下がまだ不安定だったこの時期は、武断政治の時代と言って、口実があると幕府は盛んに大名を取り潰したんです。

    ところが、どんどん大名を取り潰した結果、仕官先を失った浪人が溢れてしまいました。現在の状況に喩えれば、企業が潰れすぎて失業者が増えてしまったようなもの。現代でも、失業者が増えると、生活に困った彼らの一部は犯罪に走ることがあります。武断政治の結果も、似たような社会現象が生じたわけです。なので、16世紀後半から幕府は文治政治と呼ばれる政治方針を転換して、大名の取り潰しを抑制するようになりました。

    伊達騒動は、その転換後に起こった。仙台藩は大藩で取り潰しの影響は大きいですから、文治政治の政治方針の下では、幕府は取り潰したくなかっただろうと思います。結局、最上家の騒動は時期が悪く、伊達家の騒動は時期が良かったということでしょうね。

    続きは次回に。

    エース家紋ビスケットの謎(5)

    廃藩置県の後、華族制度(近代日本の貴族制度)が誕生して、仙台伊達家は伯爵になりました。めでたい!…と言っていいかどうかは微妙です。華族制度の爵位は公侯伯子男の五段階あって、旧大名家の爵位は、基本的には江戸時代の石高に基づいて決定されましたが、その基準に従えば仙台伊達家の爵位は、二番目の侯爵のはずだった。しかし三番目の伯爵にしかなれなかったのは、奥羽越列藩同盟の盟主になって減封されたことの影響でした。侯爵に昇格させてもらうための働きかけなんかもしたりしたらしいですが、その願いが叶う前に終戦となり、華族制度の廃止を迎えることになりました。

    しかし、仙台伊達家自体は現在も存在しています。今の当主は伊達泰宗氏で、伊達家の伝統文化の保存と普及に努める伊達家伯記念會の会長をやっておられます。その伊達家伯記念會のサイトの中に『「竹に雀」家紋の管理』と題するページがあるのです。そのページには、こんなことが書かれています。

    伊達家家紋「竹に雀」紋(類似図形を含む)は、商標登録されております。「竹に雀」紋(類似図形を含む)の使用を希望される場合は、個人、団体に限らず、下記の通り、申請の手続きをとられますようお願いいたします。

    1年間伊達家家紋使用料 10,000~50,000円(消費税別)
    事務手続き料 4,000円(消費税別)

    伊達家の家紋は、子孫によって商標登録されてしまっていたのですな。日清シスコは使用料を払うのが嫌で、伊達家の家紋を使うことを断念した…ということかと推察されます。もっとも別の可能性も考えられます。この「竹に雀」という家紋の実際の形は、伊達家伯記念會のトップページを見て頂くとよくわかると思うのですが、すっごい細かい意匠なんです。ビスケットにしたら、とても正確な再現はできませんよね。そのことを泰宗氏が嫌ったのかもしれない。

    真相を知っているのは、伊達家伯記念會と日清シスコだけなんでしょうけど。

    続きは次回に。

    エース家紋ビスケットの謎(4)

    伊達家の家紋使用の可否はどう決められているのか?

    …という話をする前に、政宗以降の伊達家がどうなったかということについての、少し話をしようかと。

    政宗によって基礎が築かれた仙台伊達藩。途中に危機が訪れることもありました。危機の最たるものは、17世紀後半に生じた、いわゆる伊達騒動でしょうね。人形浄瑠璃や歌舞伎の有名演目『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』のモデルになった事件で、昔の大河ドラマ(平幹二郎主演の『樅ノ木は残った』もこの事件を題材にした話。

    とはいえ、まぁ何とか危機を潜り抜けて、仙台伊達藩は幕末まで存続できたのでした。幕末動乱期はそんなに目立った活動をしなかったのですが、最後になって仙台藩は政局を大きく左右する働きをすることになったのです。江戸城の無血開城の後、東北諸藩は薩長主体の新政府に対抗して奥羽越列藩同盟を結成、仙台藩はその盟主的地位に立ち、戊辰戦争を長期化させる原因を作ったのです。

    かくして、幕末動乱の渦中に身を投じるに至った仙台伊達藩。やはり独眼竜軍団の血を引く強者ども、その勇猛果敢な戦ぶりに、流石の薩摩や長州も恐れおののかずにはいられなかったのだった!(>_<)

    …というわけでは、ありませんですた。(/・ω・)/

    戊辰戦争期の仙台軍は、すぐ逃げることで有名になってしまったのです。「大砲がドンと鳴ったら五里(約20キロメートル)逃げる」というので、ついた仇名が「ドンゴリ」…(*_*;。幕末の諸藩軍の中で、仙台軍ほど評判の悪いところって、他にあるんだろうか…?

    結局、列藩同盟結成してから四か月程経って、仙台藩は新政府軍に降伏。62万石から28万石に厳封されて、廃藩置県を迎えたのでした。

    続きは次回に。

    エース家紋ビスケットの謎(3)

    エース家紋ビスケットのことが気になったので、検索してみたら、withnewsというニュースサイトの次のような記事に出くわしました。

    家紋が学べるビスケット!戦国武将を中心に22種類、ローソンで発売

    エース家紋ビスケットが販売に至る経緯がなかなかわかる記事です。これは、日清シスコがかつて販売していた商品を、ローソンがプライベートブランドとして復刻したらしいものみたいですね。日清シスコの社員のインタビューも書いてありますが、特に最終段落には注目すべきことが書いてあります。

    「家紋22種類は、戦国時代の日本の武将を中心に有名なものを選択。ゲームに出てくる登場人物や、誰もが知っているような武将の家紋を中心に選んで使用可・不可の確認を取ったそうで、使用不可の家紋もあったそうです。」

    むぅ…とすると、日清シスコも本当は伊達の家紋を使いたかったのに、使用不可になったんじゃなかろうか…?という仮説が出てきますね。

    でも、伊達家の家紋が使用可とか不可とか、どうやって決めてるんだろう…?

    続きは次回に。


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