忍者ブログ
03
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 管理画面
    プロフィール
    HN:
    三浦 真司
    Webサイト:
    性別:
    男性
    職業:
    楽習堂塾長
    自己紹介:
    岐阜県羽島郡笠松町の学習塾の経営者です。
    【出身高校】
    岐阜県立岐阜高等学校
    【出身大学】
    慶應義塾大学経済学部
    P R

    エース家紋ビスケットの謎(2)

    「東北の戦国大名と言ったら、誰が思い浮かびますか?」という質問を人々にしてみたとしましょう。

    答えの中で一番多いのは、恐らく伊達政宗でしょうね。片目しか見えないことから「独眼竜」という仇名はよく使われます。大河ドラマの主人公になったこともあるし(だいぶ昔の話ではあるけど、渡辺謙の出世作)、戦国無双その他のテレビゲームでもお馴染みのキャラクター。

    一方の最上義光は、東北地方の戦国史に通じている人なら、流石に知らないなんてことはないと思います。伊達政宗のお母さんのお兄さん…なので、伯父さんですね。政宗とは、対立することもあれば、協力することもある、というような仲。

    関が原の合戦の時には東軍側に立ちました。知らない人のために注釈しておくと、関ヶ原の戦いは狭い意味では岐阜県関ケ原町で行われた合戦のことを指しますが、この時期には全国各地で東軍方と西軍方の戦いが行われた。そして最上義光は、東北で上杉家の支柱だった直江兼続と死闘を演じました(慶長出羽合戦と呼ばれることもある)。関が原で東軍の勝利が確定すると、家康に認められて山形57万石を領することが認められました。伊達政宗の関が原合戦後の領地は62万石でしたから、伊達に匹敵する大大名になったわけです。

    逆に、伊達政宗が東北を代表する戦国大名としてふさわしいのかということに疑問を呈することもできます。島津氏は九州をほとんど統一したし、長宗我部氏も四国をほとんど統一しました。どちらも秀吉に屈服して、領地を縮小させられたわけですが、伊達氏は秀吉に臣従する前ですら東北統一には程遠い状態だった。だから「東北代表を別の人にしてもいいんじゃね?」的な考え方もできなくはない。

    とは言ってもですね、こういう見方ができるのはかなりの歴史マニアに限られるわけです。この種の商品は大多数に売らないといけない。その際には、既存の知名度が重要なんですね。その点から考えると、伊達政宗の方が最上義光よりも桁違いに知名度が高い。だから、家紋ビスケットを作る際に、製造業者は当然、東北代表の戦国大名として伊達家の家紋を入れることを真っ先に検討しただろうと思うんです。しかし、なんでそうならなかったんだろう…?

    続きは次回に。

    PR

    エース家紋ビスケットの謎(1)

    楽習堂から笠松駅の方に向かって歩いていくと、2・3分でローソン笠松東陽町店に辿り着きます。ウチから一番近いコンビニで、飲食コーナーも設けられているので、僕はよく行きます。

    今年の1月、現在楽習堂が入っている部屋を僕が初めて見に来るを直前にオープンしたばかりらしいですが、ウチと違ってよく繁盛している様子です…(^^;。笠松駅から一番近いコンビニですし、近くに岐阜工業高校もあるので(ウチの右斜め前にある)、繁盛するのも道理かなと思います。

    今日も、笠松にやって来て早々にこの店に入ったのですが、お菓子売り場を漫然と眺めていると、『エース家紋ビスケット』なるものが目に飛び込んできました。戦国武将の家紋が刻み込まれたビスケットでした。僕はかつては非常な歴史マニアで、戦国時代のことも無論よく知ってます。なので、興味を惹かれました。税込108円…安いし、一つ買ってみることにしました。

    下の写真が、袋の表面と裏面です。食べた後で撮影したので、袋が開いとります…(^^;


     
    表面はビスケットを写した写真が載っていて、裏面にはこのビスケットで使用した家紋がどの戦国武将に由来しているかが書かれています。上の写真だけだと見づらいかと思うので、改めて書き記すと、以下の二十二人です。

    織田信長、徳川家康、浅井長政、豊臣秀吉、明智光秀、真田幸村、毛利輝元、前田利家、宇喜多秀家、小早川隆景、本多忠勝、井伊直政、酒井忠次、榊原康政、加藤清正、佐々成政、竹中重治、山内一豊、島津義弘、最上義光、石田三成、長宗我部元親。

    人選は、信長・秀吉・家康の三英傑とその周辺の人々に偏っている印象を受けますね。時期的にも、戦国後期の人たちばかりで、初期の人は入ってない。毛利家の家紋を、名高い元就ではなく孫の輝元に割り当てているあたりに、時期的な偏りがはっきりと示されてます。関東で覇を争った武田、上杉、後北条の家紋がないのも、戦国後期中心の人選の産物かもしれません。

    九州の島津や四国の長宗我部が出てくるあたりは、地域的な配慮もある程度されてるかなという印象を受けます。そして最上は東北代表ってことか。

    しかし、なぜに最上…?

    続きは次回に。


    [1]  [2


        ◆ graphics by アンの小箱 ◆ designed by Anne ◆

        忍者ブログ [PR]