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    プロフィール
    HN:
    三浦 真司
    Webサイト:
    性別:
    男性
    職業:
    楽習堂塾長
    自己紹介:
    岐阜県羽島郡笠松町の学習塾の経営者です。
    【出身高校】
    岐阜県立岐阜高等学校
    【出身大学】
    慶應義塾大学経済学部
    P R

    保護者定期面談の回数を変更します

    これまで、楽習堂ホームページの保護者対応のページにおいて「初等英語・中等英語の生徒を除いて、年3回の定期面談を行う」と伝えてきました。しかし「全ての保護者に年1回、1月から2月の間に定期面談を行う」という方針を変更します。この変更理由について、ご説明したいと思います。

    僕は楽習堂を立ち上げる前にある塾経営者の方に助言を頂いた際、その人は「年に6回の面談を行う」と言っており、保護者面談の重要性を強調されました。僕は面談回数の多さに驚きました。その方の塾は映像授業で、自身が教務についておられないが故に可能な回数だと思います。しかし、僕は直接教務を行う立場であるため、さすがにこの回数は無理だと思いました。ただ、年に3回程度の定期面談を行うことは学習塾の慣習になっており、重要性を強調する意見も聞いてきたので、やらざるを得ないと考えていました。

    しかし、定期面談についてネット検索で調べたところ、必要性を疑問視する意見が少なくないことがわかりました。

    学習塾の立場に立ってみると、定期面談というのは一種のノルマです。ウチのような新しくできた塾は別として、長期に渡って存続している塾であれば、一教室当たり少なくとも40~50人、多ければ100人あるいは200人の生徒を抱えていると思います。それだけの人数の面談を1か月程度の間にこなさなければならないわけですから、塾の側にはかなりの負担です。ともかくノルマをこなさなければならないという感覚で行う面談ですから、余り中身のあるものにはならなくなってしまいます。そんな面談なので、「わざわざ時間を割いて行く意味がなかった」とおっしゃっている保護者の方もおられるようです。

    こうした意見を読んで、面談は必要性があるからこそ行うのでないと、双方が時間を割いて、中身のない面談をダラダラと行うことになりかねないと考えるようになりました。しかも、僕は教務を行いながら面談も行わなければならないという立場にあるため、平日の夜間に面談を実施することは困難です。共働きされているご家庭では、この時間に面談できないことは不都合が多いと思います。そういう点から考えても、頻繁な面談を行わない方が望ましいと思うようになりました。

    もっとも、相談事や苦情があるという保護者の方もおられると思います。任意で面談を申し出られる限りにおいては、こちらも積極的に対応してまいります。また、こちらから面談の必要性を感じることもあると思います。僕は塾講師として働いている間に、学習意欲の著しく欠けた生徒、他の生徒と揉め事を起こした生徒、真面目なのに理解度がなかなか上がらない生徒など、様々な難しい生徒とも出会ってきました。そうした問題に直面した場合、保護者の方と密接なコミュニケーションを取らなければ、問題の改善にはつながらないと思います。なので、こうした場合には、こちらから面談を申し入れさせて頂くことをご了解下さい。

    また、全ての保護者の方を対象に、1月~2月の頃の年1回の定期面談は開催したいと思います。この時期は新年度が迫っています。新年度にはカリキュラム・時間割・そして料金などの改訂を行う可能性があるため、それを踏まえて新年度用の契約書をお渡しする必要があるからです。また、卒業を控えた学年では、進路確認という目的もあります。ご多忙のところを申し訳ありませんが、年に1回のことですので、少しの間だけお時間を頂きたく存じます。

    よろしくお願いします。

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    夏期講習の案内ページ開設

    楽習堂ホームページに中学生対象の夏期講習の案内ページを設けました。

    「学校じゃあ、まだ中間テストも終わっとらんやろ…」と思われる方も多いかもしれません…(^^;

    ただ、6月に無料体験授業を受けると、通常授業が最大3か月無料になるという事情があって、今年は早めに公開することになりました。もちろん、実際の授業は夏休みにならないと実施されません。じっくり検討して頂ければと思います。

    案内ページには、期間・講習内容・時間割・料金・使用教材の他、「よくある(と思われる)ご質問」のコーナーも設けました。開校初年度なので、実際に質問を受けたことはありませんが、あり得る疑問を自分で考えて、それに答えることにしました。参考にして頂ければと思います。ここで疑問が十分に解消しない場合には、当塾までお問い合わせ下さい

    よろしくお願いします。

    エース家紋ビスケットの謎(7)

    エース家紋ビスケットで最上家の家紋として紹介されたのは「丸に二つ引き」という家紋です。「エース家紋ビスケットの謎(1)」で示した二番目の写真の中の、家紋一覧の右下にある、丸に二つ線の入ったものが「丸に二つ引き」。

    しかし、家紋に詳しい人がこの家紋から普通イメージする家は、最上ではないと思います。「丸に二つ引き」から通常真っ先に思い浮かぶのは、室町時代に将軍家になった足利家なんです。

    それではなぜ、足利家の家紋が最上家の家紋にもなったのか?足利家の一族に斯波家というのがあります。室町時代になると管領(将軍の筆頭補佐官)にしばしばなった家です。この斯波家の一族が、室町時代に東北にやって来て、陸奥国を統括する奥州探題という役職につき、大崎家と名乗るようになりました。その一族が最上家なんですね。つまり、最上家は足利家の一族の一族の一族なので、足利一族なんです。ということで、足利家の家紋が最上家の家紋にもなったわけですね。

    足利一門だったら、たいてい「丸に二つ引き」なんです。この家紋を持った戦国大名として、最上義光以外に有名なのは、今川義元ですね。今川家は、足利家の一族である吉良家(『忠臣蔵』の吉良上野介の家)の一族なので、やっぱり足利一族なんですね。足利一族は室町時代に全国に広がったので、「丸に二つ引き」は室町時代の後期から始まった戦国の世にはよく登場するんです。

    以上で、この話題はおしまい。


    エース家紋ビスケットの謎(6)

    しばらく伊達家の話ばかりしてきましたけど、恐らく伊達家との交渉がうまくいかなかったせいで、エース家紋ビスケットの素材になり、多少なりとも脚光を浴びられる最上家についても、もう少し紹介しておこうかと。

    最上義光が関ヶ原の戦功で山形57万石の領主になれたことは「エース家紋ビスケットの謎(2)」で紹介した通りです。義光は1614年に没したのですが、その後最上家にお家騒動(大名家の内紛)が生じて、義光の没後わずか8年の1622年に山形57万石は改易となってしまいました。

    ところで、伊達家にもお家騒動があったことは「エース家紋ビスケットの謎(4)」でも述べた通りです。同じお家騒動を起こしたのに、最上家は改易され、伊達家はそのまま。この違い、どうして生じたんでしょうね。まぁ、歴史上の出来事というのは一つ一つが異なりますから、様々な偶然の結果だとも言えるんですが、お家騒動が起きた時期の違いは大きかったと思います。

    最上騒動が生じたときは、まだ江戸幕府が成立して20年も経っておらず、戦国最後の合戦である大坂夏の陣からは10年も経っていません。徳川の天下がまだ不安定だったこの時期は、武断政治の時代と言って、口実があると幕府は盛んに大名を取り潰したんです。

    ところが、どんどん大名を取り潰した結果、仕官先を失った浪人が溢れてしまいました。現在の状況に喩えれば、企業が潰れすぎて失業者が増えてしまったようなもの。現代でも、失業者が増えると、生活に困った彼らの一部は犯罪に走ることがあります。武断政治の結果も、似たような社会現象が生じたわけです。なので、16世紀後半から幕府は文治政治と呼ばれる政治方針を転換して、大名の取り潰しを抑制するようになりました。

    伊達騒動は、その転換後に起こった。仙台藩は大藩で取り潰しの影響は大きいですから、文治政治の政治方針の下では、幕府は取り潰したくなかっただろうと思います。結局、最上家の騒動は時期が悪く、伊達家の騒動は時期が良かったということでしょうね。

    続きは次回に。

    エース家紋ビスケットの謎(5)

    廃藩置県の後、華族制度(近代日本の貴族制度)が誕生して、仙台伊達家は伯爵になりました。めでたい!…と言っていいかどうかは微妙です。華族制度の爵位は公侯伯子男の五段階あって、旧大名家の爵位は、基本的には江戸時代の石高に基づいて決定されましたが、その基準に従えば仙台伊達家の爵位は、二番目の侯爵のはずだった。しかし三番目の伯爵にしかなれなかったのは、奥羽越列藩同盟の盟主になって減封されたことの影響でした。侯爵に昇格させてもらうための働きかけなんかもしたりしたらしいですが、その願いが叶う前に終戦となり、華族制度の廃止を迎えることになりました。

    しかし、仙台伊達家自体は現在も存在しています。今の当主は伊達泰宗氏で、伊達家の伝統文化の保存と普及に努める伊達家伯記念會の会長をやっておられます。その伊達家伯記念會のサイトの中に『「竹に雀」家紋の管理』と題するページがあるのです。そのページには、こんなことが書かれています。

    伊達家家紋「竹に雀」紋(類似図形を含む)は、商標登録されております。「竹に雀」紋(類似図形を含む)の使用を希望される場合は、個人、団体に限らず、下記の通り、申請の手続きをとられますようお願いいたします。

    1年間伊達家家紋使用料 10,000~50,000円(消費税別)
    事務手続き料 4,000円(消費税別)

    伊達家の家紋は、子孫によって商標登録されてしまっていたのですな。日清シスコは使用料を払うのが嫌で、伊達家の家紋を使うことを断念した…ということかと推察されます。もっとも別の可能性も考えられます。この「竹に雀」という家紋の実際の形は、伊達家伯記念會のトップページを見て頂くとよくわかると思うのですが、すっごい細かい意匠なんです。ビスケットにしたら、とても正確な再現はできませんよね。そのことを泰宗氏が嫌ったのかもしれない。

    真相を知っているのは、伊達家伯記念會と日清シスコだけなんでしょうけど。

    続きは次回に。


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